転移和沙が抱いている不安や恐怖、嫉妬の感情を読み取った恭治は、おもむろに携帯端末を取り出して指を滑らして文章を連ねると、画面を自身の目の前にかざした。
その画面にある文章を読むなり、表に出た転移和沙は右目から一筋の涙を流した。
「和沙、急なことで混乱しているでしょ? 君のことだ、どちらが本物かどうかなんて考えているんじゃないかな? 君は君だ。どちらを選ぶなんてことなく、君は君だ」
その言葉は、不器用なりとも恭治は転移和沙を励まそうとしているものだった。
敢えて、声に出さずに誰にも見えないように文章だけで伝えるところも恭治らしいところだ。
その言葉だけで、転移和沙の心の重みを軽くする効果が十分あった。
だから、転移和沙も言葉を口にすることなく、恭治と同じように携帯端末の画面に指を滑らせて文章をただ一言。
「ありがとう、恭治」
恭治もまた、和沙のその一言だけで十分だった。
ウェイク和沙は一息ついたあと、真山に呼ばれて、一人で彼の個室を訪れた。
「目覚めた直後に呼び出して悪いね」
デスクに座った真山は、ウェイク和沙を部屋の廊下側にあるソファに座るよう促した。
「いえ、それでどういうご用件ですか?」
端的な言葉だが、不快であるという感情が込められていることに真山は気付き、いぶかしがった。
普段の和沙は、こんなに感情を露わにすることもなく落ち着いた女性だったはずだ。
現に転移和沙は落ち着きがあって、真山が以前から知っている綾辻和沙という人物の性格を持っている。
黙り込んでいると、睨むかのように目を細めるウェイク和沙を見て、すぐに話を切り出した方が良さそうだと真山は感じた。
「ああ、まだ烏丸ともう一人の綾辻には伝えず、第六班の残りメンバーには伝えた重要なことを当事者の一人であるお前には伝えておいた方がいいだろうと思ってな」
もう一人の綾辻、たったその一単語を耳にしただけで、ウェイク和沙は不満そうに表情を歪めた。
その反応を見た真山は明らかに、彼女が以前の和沙とは別人のように直情的な性格になっていることに気が付いた。
そのことはおくびにも出さず、話を続けた。
「烏丸の脳内に存在する転移和沙についてだが、彼女が危うい状態になっている」
「一体どういうことですか?」
「消えかけているんだよ、彼女の人格が」
その言葉を聞いて、ウェイク和沙は目を見開いた。驚いていることは間違いない。しかし、敢えて平静を装っている姿勢が見え隠れする。
「転移和沙が発する脳波がノイズを挟んで途切れ途切れでしか把握することが出来ないんだ。彼女という人格の確立が徐々に揺らぎ始めている。最終的には、烏丸の人格と溶けあってなくなるかもしれない」
「そんな重要なこと、どうして恭治には伝えないんですか?」
「ああ、目覚めたばかりのお前はまだあいつらの環境を把握してなかったな。烏丸と転移和沙は、記憶を共有しているんだ。俺たちはその状態を多重状態と呼称している。多重状態の二人は、烏丸が知れば転移和沙も知り、転移和沙が知れば烏丸も知ることになるんだ。今は、転移和沙に余計な情報を与えたくないんでね。悪いが、このことは内密に頼むよ」
真山の要件を聞き終えるとウェイク和沙は、表情を崩さず無言のままうなずくとそのまま部屋を後にした。