プロジェクト・メメントモリ 後編 - 22/24

一年後の六月二十八日

 

プロジェクト・メメントモリの功労者である実験体の僕と和沙が行った様々な規定違反行為に対する制裁は、特別になかったことにされた。だから、僕は何のおとがめもなく、情報漏えいを防ぐための記憶消去の処置をされることもなく、研究所を辞めることが出来たんだ。

ルイーズさんから、僕に対する感謝の意を伝えられ、和沙が消えてしまったことに対して哀悼の意を述べられた。心にも思っていない言葉で。

そして、和沙の存在が消えて一週間後、ルイーズさんはフランスへ帰国していった。

だから、それがなんだと言うのだろう?

感謝されたら、哀悼を述べられたら、恩赦のような恩恵を受けたら、和沙は戻ってくるのか?

また、和沙が僕の身体を使って自ら殺めた自身の遺体は、研究所の意向で隠ぺいされることになって、薬品の誤使用がもたらした爆発による事故死という形におさまった。

そして、遺体は生前の和沙の遺言に従って献体に出されることになり、銃殺されたという事実は、きれいさっぱりと消されてしまうだろう。献体に関しても、和沙は家族と不和だったこともあって、何の問題もなく献体として処理された。どれだけ、和沙に対して無関心なんだろう? 僕は怒りのようなものを覚えた。

一方、僕は仕事として研究を続けていても、研究者同士で交わされるいくつもの言葉に気持ちが込められていない無意味な単語の羅列にしか思えなくなってしまった。

でも、研究所を辞めた本当の理由は、別のところにあった。

研究所にずっといると苦痛なのだ。

和沙のことを思い出してしまうからじゃない。和沙のことを全く思い出せないからだ。

あんなに気にかけていた彼女のことを名前しか思い出せない自分に失望した。

彼女をすぐに忘れてしまうほどに、僕の気持ちは寄り添うことができていなかったのか?

和沙が消えたあと、僕は何度も脳検査を受けて、和沙を思い出せないのは長期の多重状態による脳の損傷の後遺症だと言われた。

後遺症だから忘れても仕方ない。周りの人間は僕をそう慰めるだろう。でも、僕自身は僕がそんな理由で和沙を忘れていいと思っていないらしく、彼女の名前を呼ぶ度にどんな女性だったのか思い出そうと必死だった。

それでも思い出せなくて、無理矢理記憶の中から探そうとすると酷い頭痛に襲われてしまう。

もう耐え切れなかった……