七月二日
今日は記録上和沙の命日ということになっている。
まだ遺体が納まっていない空っぽのまま建てられた彼女の墓前に僕は立っていた。
ここにやって来ても、僕は彼女のことを思い出せない。
菊の花を添えたあと、ろうそくを立てて、線香に火を点けて供えると、僕は数珠を手に取って目を閉じた。
墓参りというのは、何かを願うためにするのではない。ただ、死者に自身の近況を報告するために参るのだ。だから、僕もそれにならう。
(和沙、僕はまだ君を思い出せないままだよ。君が僕にとって大切な人だったらしいと漠然と思うだけだ。一年間、ずっと君の姿や思い出を探し続けたけど、それでも思い出せなかった。そんな僕を君はどう思うだろうか? なじるだろうか、軽蔑するだろうか?)
報告しても、亡くなった者から声が届くわけがなく、ましてや、再会できるわけもない。ただ、一方的に言葉を投げかけるだけ。そう考えると、墓参りというのは淋しいものだ。
あまり長居すると、和沙のご遺族と鉢合わせしかねない。
去年の葬儀に参列した時、ご遺族は僕が同僚で和沙のことでショックを受けていることを意外そうに受け止めていた。彼らは和沙の死など些細なことのように思っているようだった。
だから、今でも会うのは避けたい。
腰を上げると、僕は足早にその場を立ち去った。