不快な気分が最大限に増幅されて感情が顔にもはっきりと現れているウェイク和沙は、歩調を速めて研究所をあとにしようとしていた。
一秒でも早くこの施設から出て行かない限り、不快な気分が晴れそうに思えなかった。
特殊研究棟を出たところで、黒服で黒いロングヘアーの少女と出くわした。
ウェイク和沙にとっては初対面だった。
黒服の少女ことマリーにとっては、ある意味では初対面ではなかった。
「和沙さん、真山から聞いたとおり元の身体に残っていたのね」
馴れ馴れしく話しかけられたことでさらに不愉快な気分になり余計に不機嫌な顔を見せてウェイク和沙は問いただした。
「あんた、誰よ」
上から目線で尋ねられたことをマリーは気にすることもなく、肩をすくめながらその問いに答えることにした。ただし、自身がルイーズであるとは言わない。
「私はマリー・デュラス。フランス本部の元所長、ルイーズ=アンジェリーク・デュラスの孫よ。私としては、和沙さんとはいくらかの交流があったんだけど、あなたとは初対面ね」
ウェイク和沙は、二ヶ月という空白期間が自分に存在していたことで、その二ヶ月の間に、転移和沙が周囲とコミュニケーションを取っていた一方、脳死状態で冷凍保存されていた自分だけが周囲から置いていかれてしまったということを自覚させられた。
その二ヶ月だけでも、恭治と転移和沙の気持ちの距離をより近づけさせるのに十分な時間だっただろう。ましてや、四六時中共に在るのだから。
恭治と転移和沙のことを深く考えていると、突然頭痛に襲われた。
痛みのあまり、こめかみを手で押さえて苦痛に顔を歪めた。
マリーは心配そうにウェイク和沙の顔色を窺っていた。
「ウェイク和沙さん、大丈夫? 頭が痛いの?」
しかし、わざとマリーがウェイクと付け足したことが、和沙にとっては神経を逆撫でにされた気分だった。
「何でもないわ。悪いけど、急いでいるから失礼するわ」
頭を左右に振り、強がって足早にマリーの前から去って行った。
去っていくウェイク和沙の背中を見送りながら、マリーは睨むように目を細めた。
「あんな女、恭治の脳にいる和沙さんと同一人物と解釈するには醜い女ね」
しかし、とマリーは思考を巡らせた。転移した和沙を皆が本物だと思い今まで接していたが、新しく発覚した和沙の肉体を動かす人格に関しては当惑しているようだ。
やはり、本来の和沙とは似ても似つかない人物だからだろう。
「すっかりなくなったと思っていたパンドラの箱に残っていたものがあったというわけね……」と、マリーは独りごちた。
それは現在、皆にとって神話の「パンドラの箱」のように残されたものが、『希望』という訳でもないようだ。
そして、計画を次の段階に進ませるためのわたしにとって、希望となり得るのだろうか?
にんまりとマリーは笑みを作った。とにかく実験は続いている。