六月二十三日(実験六十五日目)
フランスの国際空港にある国際線出発ロビーで予定の旅客機を待っているオクタヴィアン・ラファージュは気だるそうに時間が来るのを待っていた。
何もしないまま時間が訪れるのをひたすら待つと言う行為は、今のオクタヴィアンにとってもっとも苦痛を感じさせるものの一つだった。
手でもてあそんでいる葉巻が吸えるなら暇つぶしが出来るのだが、空港は全面禁煙のためそれも叶わない。
そんなオクタヴィアンの仏頂面を余所に、同伴しているヤン・ガラムはモバイルパソコンを起動させてキーボードを軽快な速さでタイピングしていた。どうやら、メールを書いているようだ。
「おい、ガラム。誰にメールをしている?」
つい気になり思わず聞いたオクタヴィアンに対して、ガラムは一度タイピングを止め、パソコンの画面から目を離すと眼鏡のフレームを指で上げ、オクタヴィアンに微笑みながら答えた。
「これから向かう日本での協力者となる人物と接触を試みているのです」
「協力者ねぇ。そう簡単に行くのかよ?」
「そうですね、面白い人物とでも言っておきましょう」
首を傾げるオクタヴィアンに、ガラムは言葉を付け足した。
「ご心配なく。サンクシオン機関の介入権のきっかけを作ってくれる人物です」
オクタヴィアンは椅子の背もたれに体重を預けて言った。
「まぁ、いいさ。面白い状況を作ってくれるなら、何でもやってくれ。そのためにお前を副官として置いてやっているんだからな」
オクタヴィアンがそっぽを向いたのを確認すると、ガラムは、再度かけている眼鏡のフレームを指で上げ、パソコンに視線を向けてメールの続きを書き始めた。
(私にとっても、そうあって欲しいわね)
六月二十六日(実験六十八日目)
真山は個室にルイーズを呼び出した。
ルイーズがソファに腰を下ろすとテーブルに日本茶を出し、自分の席に戻った。
ルイーズは、温かい日本茶にふーふーと息をかけてから、ゆっくりとすすった。
「まずいわね。あなた、恭治が入れるお茶に負けるなんて、相当ひどいわよ」
日本茶の淹れ方を指摘された真山だったが、恭治にすら劣ると言われたのはショックではないと言えば嘘になる。
真山は、お茶の淹れ方についてルイーズに熱く語られるのを、本題を提示することで遮った。
「それより、マリー様をお呼びした件なんですが、先日お話したウェイク和沙についてです」
ルイーズも彼女についてだとわかっていたようで、嫌な顔をした。
「ああ、あの子ね、この前、直接会話したわ。真山から聞いていたけど、とても転移された方の和沙さんと同一人物とは思えないほどに、傲慢そうな女だったわ」
私はああいうタイプの女は嫌いよ、とルイーズは付け足した。
それを聞いていた真山は、そういうあなたもかなり傲慢な女性ですよ、と思ったが決して口に出すことはしなかった。
していたら、どんなしっぺ返しがやって来るかわかったもんじゃない。
仕切り直しと言った感じで、真山は咳払いする。
「それで、ウェイク和沙なんですが検査したところ、彼女が脳内で通常では検知出来ない特殊な脳波を発していたことがわかりました。烏丸の脳から綾辻和沙の肉体へ転移和沙を再転移させようとすると、その特殊脳波が転移和沙の脳波の進入を妨害するような働きを見せるのです。そのため、再転移が失敗してしまったようです。その脳波は脳死状態だと診断されていた時にも発していたこともわかりました」
推測だった内容が結論に至っただけで、ルイーズも前々から察していた。そんなことだけのために、直接自分を呼んだのかと尋ねようとすると、真山は言葉の後を続けた。
「綾辻和沙の肉体が覚醒し、ウェイク和沙という人格が確認されたあと、彼女の脳を検査したところ、前頭葉に障害があることがわかりました」
その言葉を聞くや否や、ルイーズはその小柄な身体を勢いよく立ち上がらせて叫んだ。
「それじゃあ、まさか、ウェイク和沙も!」
真山はルイーズを見据えてゆっくりとうなずいた。
「ええ、彼女もオクタヴィアン同様、脳障害で転移以前の綾辻和沙とは思えないほどの性格の変貌を遂げてしまったようです」
真山の言葉が正しければ、仮にウェイク和沙という存在がいなかったとしても、転移和沙を綾辻和沙の脳に再転移させたら、転移和沙もやはりウェイク和沙のような性格に変わってしまうということだ。
「しかし、それ以上の問題は、この世に綾辻和沙という同一人格が別の肉体にそれぞれ一つずつ存在してしまっているということです。つまり、仮にマリー様が私が提唱した人格転移計画を実行すると、やはり綾辻和沙のように、今のマリー様と、転移先に移動するもう一人のマリー様が混在してしまうでしょう」
マリーは、いや、ルイーズ=アンジェリーク・デュラスは、当初クローン技術と脳移植を利用した延命措置を行ってきた。
だが、それらにも限界があると知ったルイーズは、真山が提唱していた人格転移計画に目を付けた。
しかし、その計画も破綻を迎えようとしている。それではルイーズが目指している永遠の命という夢が叶わないということになってしまう。
自分の理想が崩れていこうとしていることに、ルイーズは虚栄心をひけらかした。
「冗談じゃないわ! 私には、使命が残されているのよ! 真山、あなたがこのプロジェクトの責任者でしょう? 何とかしな……」
言葉を最後まで言い切る前に、ルイーズは頭蓋が崩壊しそうな頭痛、先ほど摂取した食べ物を全て吐き出そうとする吐き気、空間が歪んでしまったのだろうかと思うほどの目眩に襲われて……
そのままソファの上に倒れこんで、意識を失った。