オクタヴィアンから逃れた恭治は、両手で拳銃を構えながら、特殊研究棟の中を警戒しつつ、移動していた。
追っ手や監視カメラの死角となる場所に隠れると乱れた呼吸を整える。恭治は元々荒事が苦手なのだ。
サンクシオン機関は、大っぴらに行動することをためらっているはずなので、研究員たちまで巻き込んで恭治を捜索するような形を取ることはないだろうと、恭治は読んでいた。
「どうするのよ。このままじゃあ、恭治も殺されるかもしれないのよ?」
表に出てきた転移和沙が、心配そうにつぶやく。
裏にいたときに、恭治がどんな行動を取り、結果どのような状況を起こしてしまったのか把握していたので、小声で問いただす。
「何で逃げたの? あのまま、サンクシオン機関に従って私を取り除けば、恭治は解放されるんでしょ?」
「わかってるよ」
仏頂面で答える恭治。
「だったら、どうして……」
「だからだよ!」
小声で言おうとした恭治だったが、抑えきれない感情を露わにして叫んでしまった。
「君という人格を奪われたくなかったからだ。あいつらは、君をただのモルモットとしか思っていない。僕にとってかけがえのない存在を奪おうとする奴らは、君の身体にいる人格だろうとあの和沙だって僕の敵だ」
そこまでしてどうして自分を守ろうとしているのか、転移和沙は何故恭治が自分にこだわるのか、わからなくなっていた。
「でも、私の身体にいるウェイク和沙こそが、本当の私なんでしょ? 私はコピーされた人格でしかない」
転移和沙は自らの存在を否定する言葉を口にすることで、自分が傷つくことがわかっていても言わずにはいられなかった。
ウェイク和沙が自分のことをまがいものだと言った。正にそうなのだろう。脳波パターンが同一なだけで、元の肉体から離れてしまった自分は本物ではないのだから。
「違う! あんな奴は和沙じゃない。本物は君だ。あいつは、君の欠片が狂った形となって現れたんだ。あいつこそ、まがいものだ」
恭治の心の叫びを聞いて、もし面と向かって話を聞いていたら転移和沙は驚きのあまりに肩を縮めておののいてしまっていただろう。
ここまで冷静さに欠けている恭治は尋常じゃない。それも、私のために怒っているのだ。
それを、嬉しいと思っている私は罰当たりだろうか?
私の本体にいる人格であろうと否定し、まがいものの私を一人の綾辻和沙と認めてくれて、守ろうとしていることが嬉しいのだ。駄目だ、泣きたくなる。
それでも、どうにか堪えた転移和沙は平静を装った。
「でも、どうするの? この前やったクラッキングとは比べものにならないくらい、状況がより深刻よ?」
「そうだね。どうにかして、研究棟から抜け出すことが出来ればいいんだけど、僕の認証登録が消去されている可能性が高いよね。困ったな……」
その言葉を聞いて、転移和沙も聞かずにはいられなかった。
「もしかして、また無計画で行動しているの?」
「うん。というか、あんな状態から計画的に行動出来る人がいるのなら、是非紹介して欲しいところだね」
転移和沙は頭を抱えたくなる気分だった。
恭治の無計画さは前々から知っているし、マリーがルイーズ元所長であることを突き止めた時もただの興味本位でしかなかった。
しかし、今の恭治は、恭治の中にいる「綾辻和沙」を守ろうとして、行動を起こしたということはよくわかった。
オクタヴィアンに銃口を突き付けられた時点で、逃走しない限りでは恭治は拘束され、強制的に移送されていただろうし、その後転移和沙だけが脳から取り出されてしまう結末に至っていただろう。
それを恭治は良しとしなかったのだ。
転移和沙はとても嬉しく思えた一方で、自分の存在のせいで恭治を危険な状況に身を置かせた罪悪感を覚えた。
「あ、今、僕に申し訳ないとか思ってしょんぼりしたでしょ?」
面と向かっていたら、恭治はびしっと人差し指を和沙に向けてそう言っていただろう。
的を射ていたので、否定するための言葉が見当たらず、「うん」とだけ言ってうなずいた。
転移和沙にはわからないが、恭治は真面目な表情をして落ち着いていた。
「付き合い始めて何年になると思ってる? 思考は読めなくても感情が読めるのなら、和沙のことなんて手に取るようにわかるよ」
拳銃を構えながら、周囲を警戒しつつ、監視カメラの死角を通って、一息つく。
緊張感を抱いたままなので、恭治は大きくため息をついた。と、同時に転移和沙が表に出てきて、くすりと笑った。