五月十日(実験二十一日目)
「マドモアゼル和沙、この乳液、まことになめらかで心地よいぞ」
「そうですか? でも、恭治の肌でわかるかしら? あ、いい匂い」
その日、『一つの器』を支配している和沙は、黒髪の白人少女と街中に出歩いていた。
恭治にご丁寧な女装をさせて。具体的に説明すると、まずロングヘアーの茶髪のカツラを用意した。髭を剃り割と白めのファンデーションを塗って化粧をし、すね毛も剃った上、違和感があってはいけないので、わかりにくいように黒いタイツを履いた上にブーツを履かせた。そして女性ものの服装を着せるという徹底さである。
さすがに、下着までは身に着けられないという恭治の訴えだけはのんでくれた。
しかも、この日のために、一日使い捨てのコンタクトレンズは恭治の自費で買わされる羽目になった。
恭治は、もしこんな格好をした自分が男とバレたら、舌を噛み切って死んでやろうかと強く思ったくらいに絶望していた。
そして、こんなことをする羽目になったのは振り返ること三日前の出来事だった。
五月七日(実験十八日目)
ゴールデンウィークの休暇を存分に堪能した恭治だったが、和沙としては若干ストレスが溜まるような休暇だった。
いつもの和沙は休暇中に街中のブティックや化粧品店などに立ち寄って、アクセサリなどの小物の装飾品や新しい化粧品を見て回っていた。しかし、身体は恭治のものであるため、ブティックに入るのはいいとして、堂々と化粧品店に行くのはいくらなんでも恥ずかしすぎて断固拒否というのが恭治の意思表示だった。
また簡単ではあるが、恭治と和沙の間で約束という名の協定が結ばれた。
それは、「本来の肉体の主である恭治が基本的に表に出ていること。和沙は人気が少ない場所、または二人の事情を知っている面々だけがいる環境でのみ表に出ることを恭治が許可する」というものだった。
だが、あくまで口約束であって、和沙のさじ加減であっさりと約束を破ることが出来る曖昧なものでしかない。
そこは、和沙の良心を信じるしかないのだが、いたずら心満載の和沙に通用するかどうか不安だ。
そんなうつうつとした気持ちと、五月病のような倦怠感を抱きながら恭治は休み明けの研究所へと出勤していったのだった。
出勤する恭治に向かって、和沙が小声で忠告してきた。
「ちょっと鏡で自分の顔、見てみなさい」
何だろうかと首をひねりつつも和沙の言葉にしたがって手鏡―何故か和沙が今日は持って行けと言ったもの―を取り出して、自分の顔を見る。
しかし、鏡に映る顔はいつもの自分の顔だ。何で和沙は自分の顔を見ろだなんて言ったのだろうか?
その答えは、すぐに和沙がやはり小声で教えてくれた。
「恭治、如何にも疲れてますぅ、やる気がないですぅって顔してるわよ」
「そうかなぁ?」
自分が自分の顔を見てもいつもどおりの顔にしか思えない。だから、和沙の気のせいだろうと思っていた。
しかし、研究所の入口で同じ第六班の先輩研究員を見つけた恭治が先に挨拶をすると、
「烏丸。お前、連休の遊びが響いているんじゃないか?」と声をかけられた。
「どういうことですか?」
「いかにも、疲れが溜まってますって面をしてるぞ」
和沙の言ったことは当たりだったようで、他の研究員数人にも同じようなことを突っ込まれた。
その場で肩を落としたくなる恭治だった。