「何じゃ、日本にはもう侍はおらんのか。だから、男衆はまげをしておらぬのか」と嘆きながら、マリーは抹茶パフェを注文し、和沙はうきうきといつものように生クリームたっぷりのケーキを注文した。
ところが念願だったケーキを口にした瞬間、自分が思っていた以上に感動がなかった。恭治に転移したことにより、恭治同様、味の好みが変わってしまったようだ。
「マドモアゼル和沙、いかがした? 口に合わぬのか?」
マリーは次々と口に運んでいる自分とは対照的な和沙の様子に気付いて、心配そうに尋ねた。
「いいえ、そういうわけではないんですけど……」
確かに美味しいのだが、以前のようにもっともっとと、口にケーキを運ぶほど嬉しくはなかった。味は、楽しめるのだが、口に入れた瞬間の感覚が不快に近いものだった。
和沙はスイーツの生クリームの甘さが大好きだったのだが、恭治は生クリームの食感を苦手としているので、肉嫌いの和沙の影響で肉が好みから外れかけた恭治のように、今の和沙にとって、生クリームはそこまで食べたいと思えなくなってしまったようだ。
怪訝そうにしているマリーをそのままにするのは良くないので、事情を語った。
「そうなのか。転移すると、好みが変わってしまうとは。確か、心臓移植すると、味の好みが元の心臓の持ち主に似通ってしまうという事例があると耳にしたことがあるが、それに酷似しておるな」
「恭治も好みが変わったそうです」
「それは、改善の余地がありそうね……」
ぼそっと、小さい声でつぶやいたマリーの言葉は和沙には聞こえなかったが、真顔のままそっぽを向いているマリーに声をかけることは何となくためらわれた。
「ところで、マリーさんはどうして来日されたんですか?」
話題を変えるように和沙は質問を投げかけた。
真顔だったマリーが呆けたような顔した。
「真山が提唱した人格転移の実験が、日本で実行されたと聞いたゆえ、興味があってな。そなたたち実験体『一つの器』に会いに来たというわけじゃ」
「ええ、それは真山さんから恭治伝えで聞いたんですけど、具体的にどうしてかなって。非合法な秘密実験なんてフランスでもたくさんやってるでしょう? どうしてピンポイントで私たちの実験を知ったり、興味を抱いたのかなって思ったんですよ」
和沙は何の気無しに、興味本位でマリーに問いかけた。
「ああ、それはおばあ様の影響かもしれんな」
淋しそうにマリーはつぶやいた。
「ルイーズ元所長のですか……」
すでに亡くなっている祖母のことを引き合いに出されたことで、和沙は興味本位の姿勢から背筋を伸ばして聞く姿勢を整えた。
ふと、和沙が、いや、恭治が表に出てメモ用紙を取り出してペンを走らせる。
女装した状態で恭治の声を出すのは嫌だったのだろう。
恭治が裏に引っこむと、和沙がメモを取る。メモにはこう書かれていた。
「それで、マリーさんはルイーズ元所長にこの技術を適用したかったのですか?」
すでに亡くなった祖母のことを孫に対して遠慮なく質問する恭治のデリカシーの無さに、呆れた和沙はメモを読むべきかどうか迷った。
しかし、恭治が書いている間にメモの内容がマリーの目に入ってしまったようだ。
すると、マリーは感情的になることもなく、冷静に淡々と恭治の質問に答えた。
「そうかもしれぬ。真山が立案し、お主たちを対象にした実験は、生前おばあ様が許可したものであるし、技術が確立していれば、おばあ様に適用したかったのぅ……」
ルイーズ元所長は、かなりの高齢で病に伏して亡くなったと聞いていた和沙たちは、ルイーズ元所長にとって重要視していた実験だったのではないかと思った。
しかし、結果を見届けることなく彼女の人生は終わりを告げてしまったのだ。
少し空気が重たくなり、和沙は口を閉じてしまった。
表情を暗くした和沙を前に、マリーは優しく微笑んだ。
「そう気に病むことはないぞ。おばあ様が見届けることが出来なかったこたびのお主たちの実験の結果を拙者が代わりに見届けることにしたのじゃ」
マリーはルイーズの代わりに見届けると言う。
果たして、和沙と恭治が直接的に関わった実験が何をもたらすのだろうか?
それは、和沙たちはおろか、真山ですらわからないのではないかと感じていた。