恭治と和沙が研究員として勤めているアンジェリーク医療研究所は表向きには健康医療などの新薬や医療機器などの開発を主に行っている医療機関で、フランスに本部を置き、日本を含む先進六ヶ国に支部を持つ大規模な組織である。
一方、裏では二人を実験体にしたように表向きでは到底実行が認められることのない非合法で危険な実験も行っている組織でもある。
そしてアンジェリーク医療研究所の技術や規模の発展には、それらの裏側の実験が大きく影響していることは否めない。
ちなみに恭治たちが所属している特殊研究第六班は、その名の通り特殊かつ危険な実験を行うために結成された機密性の高い研究班となっている。
彼らは、研究所でもごく一部の関係者しか入ることの出来ない地下にある研究室で日々研究をしている。
第六班に配属されて日がまだ浅い恭治と和沙にとっては、今回の実験が初めての人体実験であったが、まさか自分たちが実験体になるとは、思いも寄らなかった。
五月一日(実験十二日目)
経過観察のためにすぐには和沙を元の肉体へ戻すことはせず、しばらくの間恭治の脳内に居残ることになり、二人の状態を『多重状態』と呼称することになった。
また、人格として行動することを『表に出る』といい、表に出ていない側を『裏にいる』と呼ぶ。
そして、恭治と和沙の人格が存在する恭治の肉体を便宜上『一つの器』と呼ぶ。
プロジェクト・メメントモリはただ転移させるだけで終了するわけではなく、過程で恭治の身体『一つの器』に一体どういった変化が引き起こされるのかを観察することも実験の一環だった。
実際、和沙が転移したことにより、『一つの器』に顕著な変化が現れていた。
元々、恭治は酒に強く肉類が好物だったのだが、転移以降、そこまで肉類を食べたいと思わなくなり、酒も少しだが弱くなってしまった。
それは、下戸で肉嫌いな和沙が転移したことによって、和沙の好みが若干の影響をもたらしたのかもしれないという結論になった。
また、朝に弱かった恭治だったが、転移実験以降では目覚ましのアラームが鳴る前にきっちりと起床することが出来るようになった。和沙が規則正しい生活をしていたことが起因なのだろう。
そして……
「いやよ。絶対に嫌」
恭治が男子トイレに入ろうとした時だった。
「男子トイレに入るなんて嫌よ」
和沙がごねだして身体の主導権を握り女子トイレに駆け込もうとする。
「ちょっと待った! この格好で女子トイレに入るのか? 見た目は僕なんだぞ! 頼むよ。少しだけ我慢してくれよ!」
「嫌って言ったら嫌なの!」
一人ぶつぶつとつぶやきながら男子トイレと女子トイレの間を行ったり来たりしている見た目『男』の恭治は現在いろんな意味でピンチだ。
その様子を第六班のメンバーは複雑かつ生温かい目で見守っていた。