プロジェクト・メメントモリ 前編 - 9/23

焼肉での食事を終えて、伸哉たちは締めにラーメンを食べに行くと言ったが恭治はそれを断って帰路についた。

夜も更けてきたので、人気も少なってきたとはいえ、恭治も和沙も人目を気にするように、小声でやり取りをする。

先に言葉を発したのは恭治の方だった。

「あいつらと飯食っている間に、左手でしかも速記まで書くし」

「だって、恭治だけ楽しんでるのってずるいじゃない。私が下戸で肉嫌いなの知ってるくせに」

ふて腐れるようにつぶやく和沙。

しかし、それで引き下がるつもりは恭治にもない。和沙には、三大欲以外の第四の欲となっている特別な快楽があるのだから。

引き算しても恭治の方が損しているように思えてしょうがない。

「快楽、快楽って言うけど、私だって四六時中感じているわけじゃないんだからね」

「そうなのかい?」

意外そうに恭治が尋ねる。

「よくわからないけど、恭治と何かしらのタイミングが合うと、すっごく気持ちよくなるのよね」

恭治は感じたことがないから、どんな快楽なのか計り知れないが、和沙はいつも感じているものだと勝手に思い込んでいた。しかし、和沙が言うように四六時中感じていたら、恭治と交互に表裏と入れ替わることなどしないだろう。快楽に浸って裏で潜んでいればいい。

表に出てくるのは、外界と接触したがるからだ。つまり、食欲など何かしらの欲があるに違いない。

だから、恭治が焼肉を食べたことに対して不満があるのだろう。

「さすがに男の恭治にスカート履かせたりするのは気兼ねするから、ファッションに対しては目をつむるし、外で女子トイレに行けとはもう言わないけど、たまには私が食べたいものを食べさせてくれてもいいでしょ?」

和沙の最初のセリフを聞いて、恭治は自分がかなり悪趣味に目覚めてしまった末の格好を想像してしまい遠慮なく呻いた。いくら、恭治の身長が和沙の身長である157センチより高い、165センチだとしても、身長的には女性でも許容範囲内の身長だ。

かといって、それで自分が女装しているところを想像するのは呻くのには十分だった。

嫌悪感だけは把握した和沙は、すぐにツッコミを入れた。

「今、エグい想像して気分悪くしたでしょ?」

「君が言ったことを想像した僕が馬鹿でしたよ」

恭治の言葉に反応して、和沙は明るい感情を露わにした。どうやら裏で笑っているのだろう。

その途端に、恭治は淋しくなった。

恭治は無邪気に笑う和沙の表情が好きだった。ころころと相好を崩す和沙の笑顔は見た目を少し幼くさせるもので、とても愛らしかった。その顔に恭治は惹かれたのだから。でも、今はそれを見ることは出来ない。

和沙の人格は今、自身の脳内にあり、和沙の肉体は脳死判定されており、肉体が朽ちることのないように冷凍保存されている。

和沙の表情を、和沙の姿を見えないということは和沙がいなくなってしまったようで、それを言葉に出して淋しいと言ってしまうと、和沙に知られてしまうから敢えて言葉にはしなかった。それでも感情の一部は漏れてしまうから、和沙がそれを読み取って尋ねてきた。

「恭治、どうしたの? 気分が沈んでるわよ」

どう言い訳しようかと恭治は悩んで、少し間を置いて別の話題を引っ張りだす。

「いや、和沙は今いないことになってるから、和沙が友達とかに連絡出来ないなって思ってさ……」

家族に関して触れなかったのは、和沙の事情を汲んだ上での恭治なりの気遣いだった。

「そうね。直接会うことは出来ないから、仕事が忙しいって誤魔化すとして、メールや電話は出来るでしょ? だから、心配はご無用よ」

ああそうかと、恭治も納得した。

肉体は恭治でも、声色を和沙のままで喋ることが出来るのだから、そこまで不便ではないということだ。

「もともと、研究所勤めだから、プライベートなんてあまりないのは恭治が一番わかっているでしょ? だからこそ、恭治だって今日はお友達と食事したかったわけだし」

「そうだね。それに和沙のケータイだって預かっているもんね。友達とも連絡は出来るか」

「だからって、私のケータイでいたずらするようなら、承知しないわよ」

「わかってるよ」

いたずらっぽく釘を刺す和沙の言葉に怒りなどの感情がこもっていないから、本気でそう言っているわけじゃないとわかる。だから、恭治も困り顔のような笑顔で返事した。

和沙は恭治をからかうことが好きなようで、学生時代に付き合うようになって、さらに同僚として研究所に勤めてからそういった一面があることを知った。

「あれ? こっちの道って逆じゃない?」

帰り道が違うと訴えて表に出て振り返ろうとする和沙に対して恭治は素っ頓狂な声をあげた。

「はぁ?」

なぜなら、恭治の自宅への帰り道は間違っていないのだから。

振り返った身体をもう一度向き直させる恭治。その行為に和沙は裏で疑問を抱いた。

その和沙の言動と行動を目の当たりにして、恭治はようやく気付いた。

「和沙、もしかして君の家に帰ろうとしてないかい?」

「……」

無言は肯定。図星だったらしい。