綾辻和沙という人格は私だけのはず。
では、今、私の肉体にある脳内で脳波を発している人格は一体誰なのだろう?
やはり、その人格も綾辻和沙と名乗るのだろうか?
だとしたら、どちらの私が本物なのか、どちらの私が偽物なのか……
和沙の肉体が脳波を発し始めて数分が経過した時には、はっきりと脳が覚醒しているという
状態まで活発化していった。
和沙の肉体を凝視する研究員たち。恭治もまた、見入られるように凝視する。
和沙の肉体がまぶたをゆっくりと開く。
自分がどんな状況なのか把握するためか、首や目を何度も左右に動かす。
全身にコードからつながっているパッドを張り付けられていることを確認し、自分が全裸であることに気が付いたようだ。
そして、皆が自分を凝視していることに気付くと、赤面して悲鳴を上げた。
「きゃー、見ないでー!」
悲鳴を上げた彼女の声色は、間違いなく和沙のものだった。
男性研究員を部屋の外へ追い出して、女性研究員から服を受け取り着替えた彼女を落ち着かせるために、間を置いてから男性研究員も研究室に入った。
第六班が全員揃うと、今、目覚めた和沙の肉体にいる人格が単刀直入に真山に尋ねた。
「真山さん、人格転移実験は失敗したんですね?」
そんなことはない。人格転移は成功している。現に、恭治の脳内に和沙の人格が存在している。
真山はどう答えたものかと悩んだ上で、言葉を口にした。
「いや、実験は成功した。綾辻の人格は烏丸の脳内に転移することが出来た」
真山の言葉に、和沙の肉体の人格は驚きのあまり目を見開いて返答した。
「そんなことはありません。だって、ワタシはまだこの身体にいます」
やはりな、という感想を抱いたのは、言葉を発した和沙の肉体の人格以外の全員であり、全員が落胆した。
状況は、ますます悪い方向へと傾いてしまっていることに対して……
今目覚めた和沙の肉体の人格もまた、自身のことを綾辻和沙と主張した。
ということは、奇妙なことに綾辻和沙という人格がこの世に二人いることになってしまう。
実験が成功して、恭治の脳内にいる和沙も、元の肉体に留まっている和沙もまた同じように困惑していた。
しかし、真山は何故恭治の脳内にいる和沙が再転移出来なかったのか、この事態のおかげでようやく理由がわかった。
要するに、同じ肉体に同一人格が共存することは出来ないということだ。
『ウェイク和沙』と呼称される元の肉体の和沙は『転移和沙』と呼称される恭治の脳内にいる和沙とは異なり、恭治の脳内へ転移したという記憶が一切ない。
それどころか、ウェイク和沙は実験を初めて行った四月二十日から、すぐに目覚めたと思い込んでいた。
彼女はちょうど二ヶ月の間、脳死状態で肉体を冷凍保存されていたことすら知らない様子だった。
ウェイク和沙の主張を聴いていた転移和沙は、嫉妬にも似た不愉快な気分を抱かずにはいられなかった。
恭治の脳内にいる私は、元の肉体に戻ることが出来ずにいて不安で頭が一杯なのに、ウェイクと呼称されたもう一人の私は、そんな私の不安なんて微塵にも感じていないのだろう。
ウェイクという私もまた、自身のことを『綾辻和沙』だと名乗っている。
さらに、皆が英語で『目覚め』を意味するウェイクと区別するために、私のことを転移和沙と呼称すると言う。
それじゃあ、私がコピーされたまがいものであるかのような表現ではないか。
そして、恭治はどちらの『私』を選ぶのだろうか?
やはり、元の肉体にいるウェイクという私を『私』と認めるのだろうか?
元の脳内から転移された私は、あくまでもコピー&ペーストされた複製品としか認知されないのか……