「和沙、元に戻った感想はどう?」
事情を知らない恭治は、和沙が再転移に成功したものだと思い込んだままだった。しかし、和沙の肉体が一切動かないので、異変に気が付いた。
そこでようやく、和沙が未だに自身の脳内に残っているのではないかと推測して、恭治も言い辛そうに真山に尋ねた。
「真山さん、まさか、失敗……ですか?」
視力の低い恭治にはうなずくだけでは気づかないだろうと思った真山は、言いにくそうに答えた。
「ああ、綾辻はまだお前の脳内にいる」
「そんな……」
恭治も動揺を隠せずにはいられなかった。まだ和沙が自分の身体の中に残っているなんて……
フォローのつもりか、真山が少しだけ口を挟んだ。
「不幸中の幸いというべきことが一つだけある。綾辻がお前の脳内に留まっているということだ」
恭治にとっては一体それのどこが不幸中の幸いなのか理解出来なかった。
研究員でありながらそれに気づくことが出来なかったのは、当事者が自分と和沙であることが影響していたためだろう。
納得がいかないといった様子で恭治はトーンを下げた怒りが見え隠れする口調で尋ねた。
「それは一体どういう意味ですか?」
「よく考えろ。お前と綾辻の身体は電子機器を仲介にして接続されている。もし、転移が中途半端に成功していたら、綾辻の人格は電子機器内に留まっていたかもしれないんだぞ」
電子機器内に留まる。そんな状態になってしまえば、和沙の肉体への転移どころか、恭治の肉体へ留まらせることすら出来なくなり、どちらの肉体への転移も不可能になってしまう危険性がある。
だから、真山は不幸中の幸いと言ったのだ。
その言葉を恭治はぎゅっと噛み締める。不幸中の幸い、それはあくまで不幸の中でしかないということを。
和沙を元の肉体に戻さない限り、幸いという言葉を使うことは恭治には出来ない。
そこで和沙が表に出てきた。
「うん? 視界がぼやけてる……どういうこと?」
沈痛な面持ちのまま、真山は恭治に伝えたことと同じような内容の話を和沙にした。
当の本人が一番ショックを受けているかもしれないが、伝えないわけにはいかなかったのは当然だった。
しかし、思っていたよりも和沙の反応は明るかった。
「まだ、私の身体に戻れる可能性は残っているんですよね? じゃあ、真山や先輩方に頑張ってもらえれば、きっと大丈夫ですよね」
「思ったより、ポジティブだね、和沙」
「そんなことないわよ、恭治がいつものネガティブモードに入ってるだけよ」
和沙の言う通り、恭治は自分が関わることになると打たれ弱いところがあり、すぐに後ろ向きに物事を考えてしまう癖がある。
人を励ますのは上手いのだが、自分を励ますという技術を恭治は持ち合わせていない。
一方で、和沙は前向きに考えようという傾向が強く、恭治は羨ましいと思っていた。
しかし、恭治の身体で話す和沙は明るく振る舞っていたが、裏にいる状態の感情は不安そうにしていることが表にいる恭治にはわかってしまったのだ。
和沙は恭治や研究班のメンバーにこれ以上落ち込ませる真似をしたくなかったのだ。
和沙の気持ちを思い知った恭治だったが、自分には出来ることが何もないこともよくわかっている。だから、同じ班の先輩たちにすがるしかなかった。
「真山さん、先輩方、お願いします。必ず、和沙を元の肉体に戻してあげてください」
眼鏡をかけて鋭い眼差しをする恭治の訴えに皆は黙ってうなずいた。
研究者として実験の失敗は望むことではない。何としても和沙の再転移を実現させようと思った。