「食堂はどこにでもあるが、どこにでもある分、ありふれた水準の食事しか提供しないものじゃな。お茶もさほど美味いわけじゃないしのぉ」
日本茶が好みだというマリーにとって、日本でお茶が美味しくないというのは納得がいかないことなのだろう。
確かに、マリーが振る舞ってくれたお茶は美味しかった。それに対して、今飲んでいるお茶は出がらしではないだろうかと疑ってしまうほどに、味気ない。
それはそうと、腑に落ちないことがあるので、恭治はマリーに尋ねた。
「ところで、マリーさんはいつまで日本に滞在するつもりなんですか?」
いくら恭治たちの人格転移実験に興味があるから来日しているとはいえ、フランス本部で仕事があるだろう。ただでさえ、弱冠十五歳で特殊班に抜擢されているような天才少女だ。
恭治たちと違って暇を持て余しているということはないだろう。
恭治の質問にマリーは箸をくわえながら、きょとんとした表情を向けてきた。恭治は、行儀が悪いと思いながら見ないふりをした。
恭治の視線に気が付いたマリーは箸をお皿の上に置くと、しばらく考えた様子でゆっくり答えた。
「そうさのう、マドモアゼル和沙がムッシュ恭治の身体から再転移されて元の身体に戻るのを見届けてからになるじゃろうな」
その発言に目を見張った恭治。裏にいる和沙も驚いているという感情を露わにしている。
和沙の再転移が成功するまで。簡単そうにマリーは言うが、第六班のメンバーですら再転移が何故失敗したのかわかっておらず、いつ成功するのか全く見通しがついていないのだ。
それが成功するまで日本に滞在するというのは、悠長に待ち過ぎだ。
フランス本部での仕事はどうするつもりだ?
恭治の表情から何を考えているのか読み取ったマリーはくすりと笑った。
「ああ、心配するでない。フランスを出国する前に、三ヶ月は日本に滞在することが出来るように申請しておいたのだ」
一体、どうやったらそんな内容の申請が通るのか問いただしたい気分になった恭治。
創始者の孫というだけで、どうしてこんなにも強権を行使することが出来るのやら……それにしても。
「どうして和沙の再転移が失敗したって知っているんですか?」
その事情を知っているのは、第六班のメンバーと立案、責任者である真山だけだ。しかし……
「いや、答えなくていいです。理由がなんとなくわかりましたから」
マリーが口を開く前に、手で遮った。
おそらく真山がその都度報告しているのだろう。何故、マリーに知らせる必要があるのかわからないが……
マリーについて考えていると、今度はマリーの方から問いかけが飛んできた。
「やはり、この状況ではマドモアゼル和沙が表に出ることはほとんどないようじゃな」
「はい、事情を知らない人の前では控えるようにという協定を結びましたから」
協定という言葉が恭治の口から出てきたところ、マリーはコロコロと笑った。
「協定とは、それはまた大仰な言葉じゃな。まぁ、誤解を招きたくないという気持ちはわかるが」
大仰でも和沙はその約束を忠実に守ってくれている。そういった事情をくんでくれる性格であったことに感謝する恭治だった。
そこに、マリーが不意打ちの言葉を投げかけてきた。
「でも、前みたいにマドモアゼル和沙と買い物をする時は、その協定は成立させなくてもいいのであろう?」
嫌なことを思い出させる人だなぁ、と、ますます恭治の中でのマリーへの評価が右肩下がりに急落していく。嫌いなわけではないが、苦手な相手という存在に変わりない。
そんな雑談を続けている間に、いつの間にか恭治もマリーも食事を終えていた。
二人とも箸を置き、手を合わせて合掌すると席を立ち、トレーを返却口に運び、食堂から出て行った。
恭治は特殊研究棟へ、マリーは一般の宿舎へ戻り、互いに正反対の方向へ帰ることになるため、ここで別れの挨拶をする。
「じゃあ、僕はここで。おやすみなさい」
「おやすみなさい。早くマドモアゼル和沙の再転移が成功するとよいな」
礼をすると、恭治はマリーに背を向けて歩き出した。
マリーは、微笑みながら手を振って恭治を見送った。
恭治が特殊研究棟の方へ姿を消していくと、マリーは微笑みを消し無表情で誰にも聞こえないくらい小さい声でつぶやいた。
「本当に、早く成功して欲しいものね」